ストック・オプションは、上場を目指す会社にとって重要なインセンティブ向上施策の一つですが、ここ1年のうちに上場準備会社を取り巻くストック・オプションの発行環境が大きく変わってきたと言えます。国税庁から昨年5月終わり頃に公表された通達案により、いわゆる信託型ストック・オプションに係る所得税の課税タイミングが全て株式売却時ではなく一部が権利行使時の給与課税の取扱いとされたことが新聞記事にも大きく取り上げられ話題となりました。
一方で、その見返りではないかもしれませんが、これまで曖昧となっていた、未上場会社が税制適格ストック・オプションを導入する場合の株価算定の税務上の取扱いを明確化し、売買実例等により算定した価額に加え、財産評価基本通達の純資産価額方式等による算定を認める内容の通達案も国税庁から同じタイミングで公表され、昨年7月7日に正式に通達として公表されています。
通達が公表される以前は、税制適格ストック・オプションを発行する場合、当該ストック・オプションに係る契約の締結時の株式の時価を上回ることが税務上の適格要件とされていましたが、その株価の算定方式については具体的に定められていませんでした。その中で、従来の実務では、上場時期に近づくほど、DCF法や類似会社比較法を用いた株価算定による株価を権利行使価額として用いるケースが多かった一方で、直前々期の期初頃までのタイミングでは純資産価額方式での株価を権利行使価額として用いる事例も中には見受けられました。一般的には、上場に向けて業績が上昇トレンドとなる上場準備会社において、純資産価額方式での株価算定では、DCF法等による株価算定よりも低い価額となることが多いと考えられ、税務リスク面については必ずしも否定はできないものの、付与された従業員等が上場後の行使により得られる経済的利益がより多くなることが期待できるため、インセンティブ向上策としては機能する側面があったものと思われます。
また、税務上の株価の定義が会計上の株価と同じように曖昧であったことから、DCF法による株価を用いても、あるいは純資産価額方式での株価を用いたとしても、税制適格ストック・オプションにおいて設定された権利行使価額こそが発行時の自社株式の時価(=税務上の株価)であり、それは会計上の株価とも一致しているという絶妙なバランス関係の下、日本の会計基準上、結果的に未上場会社において税制適格ストック・オプションの発行に伴い株式報酬費用が計上されるケースはほとんど無かったものと思われます。
その状況が、前述の国税庁からの通達を機に崩れることとなります。この通達案が2023年5月30日に国税庁から公表されたことを受け、公認会計士協会からの意見(国税庁「「租税特別措置法に係る所得税の取扱いについて」(法令解釈通達)等の一部改正(案)」に対する意見について 2023年6月30日)やASBJの専門研究員による解説文(税制適格ストック・オプションに係る会計上の取扱いについて照会を受けている論点に関する解説)も公表され、税務上の純資産価額方式を用いた価額を権利行使価額とするストック・オプションを発行した場合等には税務上の株価と会計上の株価は必ずしも一致しない可能性があり、その場合には費用処理が必要になるとの見解が示されるに至りました。
こうして、税務上の株価の取扱いを明確にしたことが引き金となり、ストック・オプションの会計基準としては従来から何も変更はされていませんが、結果的に会計処理が変わりうる事態となりました。税務上は緩和措置を意図したものだったかもしれませんが、会計上は費用処理が生じて利益が減少する影響が生じる(しかも税務上と会計上の株価の差額度合やストック・オプションの発行株数の量によってはそれなりに多額にのぼることも想定される)こととなり、経営者がその活用に二の足を踏んでしまうことも十分考えられます。この点、公認会計士協会からの意見では、発行会社も含め、ストック・オプションの取得者が制度メリットを十分享受するには、計上される株式報酬費用をせめて損金として取り扱えるような見直しの変更をすべき、との提言もされています。
会計上の株価に焦点が当たるようになった結果、会社が作成した株価算定書の内容に対して、監査法人がこれまで以上に慎重に検証を行うことが考えられるため、手戻りが生じないよう、信頼できる委託先へ会計上の株価の算定を依頼することも重要になってくるものと思われます。また、費用をどのような期間にわたって計上していくかの検討も必要となりますが、ストック・オプションに付された「上場するまでは権利行使することができない」等の諸条件をどのように解釈し会計処理に落とし込んでいくかは、現状では監査法人との協議を経ないと確定することが難しいものと思われます。
上場準備会社としては、このような手探りで不安定な実務環境下であることを踏まえながら、監査法人との協議等、十分に時間的な余裕を持ってストック・オプション発行の検討や準備に臨む必要があると思われます。
(畠中)