10月16日に㈱リクルートホールディングスが東証1部に上場しました。同社は、IPO関係者が「いつ上場するのか」と、長い間注目してきた会社ですが、それとは別に、同社に関してIPO関係者が忘れることのできない出来事があります。「リクルート事件」です。
事件の詳細についてはここではふれませんが、同社のグループ会社(当時)の株式が、公開直前に売買されたことがきっかけとなり、平成元年4月から、新規上場会社のⅠの部と有価証券届出書(以下「届出書」)の記載事項として「第四部 株式公開情報」が追加されました。
これは、逆の見方をすれば、現在では当然のこととして新規上場会社の届出書に記載されている「株式公開情報」も、昭和の終わりまではなかったということです。
考えてみれば、平成になって既に四半世紀が経過しており、平成の初期と現在でIPO関連の制度は大きく変わっています。そこで、平成初期のIPOの制度はどのようなものだったか、少しだけ振り返ってみたいと思います。
①取引所の数
平成の初期には、「東京、大阪、名古屋、札幌、福岡、新潟、京都、広島」の8証券取引所があり、他に店頭登録銘柄(現在のJASDAQ市場の前身)がありました。
当時の証券取引所にはテリトリーの考え方があり、たとえば大阪に「営業の主体」がある未上場会社は、原則として東証に直接上場することができませんでした。(現在は、一部の新興市場を除き、そのような制約はありません)
②一般競争入札
平成元年4月から、一般投資家の受給を反映した価格決定を行うとともに、一般投資家の公開株取得機会を増やすことを目的に、一般競争入札制度が導入されました。
同制度では、公開株式の一定割合を一般競争入札対象とし、高い価格で応札した投資家から順に株式を割り当て、落札加重平均価格をもとに公開価格を決定していました。
現行の規則でも、一般競争入札は、公開価格決定方法の一つとして認められていますが、現在は、ブックビルディング方式による株式公開が主流となっています。
③リスク情報
平成の初期には「事業の概況等に関する特別記載事項」として、新規上場会社等のⅠの部及び上場時ファイナンスの届出書に記載されていました。これは、「リスク情報」が「ファイナンス時に提供する投資リスクに関する情報」という位置付けであったためと思われます。また、特に平成初期の「リスク情報」においては、記載項目数は現在ほど多くなく、「該当なし」とする会社もありました。
なお、平成16年3月期から、「リスク情報」は「事業等のリスク」として、新規上場会社等の届出書だけではなく、上場会社の有価証券報告書においても毎期継続して開示されるようになりました。
いろいろ挙げていくとキリがありませんが、ここに例示しただけでも、IPOに関連する制度が、時代とともに変わってきたことがわかります。
過去の制度変更にはそれぞれ意味があり、その積み重ねが現在のIPO制度につながっています。日々の業務においては、どうしても現行制度に関心が行きがちですが、時には立ち止まって過去を振り返って見るのもおもしろいと思います。
(原田)